大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)3412号 判決 1972年11月30日

原告 小川嘉治

被告 丸亀福幸 外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

「原告に対し

一 被告丸亀福幸(以下「被告福幸」という)、被告丸亀八重(以下「被告八重」という)は別紙目録第二記載の建物(以下「本件甲建物」という)を収去して別紙目録第一の(一)および(二)記載の土地(以下、両者を「本件土地」という)を明け渡すこと。

二  被告丸亀道子(以下「被告道子」という)は別紙目録第三記載の建物(以下「本件乙建物」という)を収去して、その敷地(別紙目録第一の(一)記載の土地(以下「本件(一)土地」という)内の敷地)を明け渡すこと。

三  被告福幸は別紙目録第四記載の建物(以下「本件丙建物」という)を収去してその敷地(本件(一)土地内の敷地)を明け渡すこと。

四  本件甲建物のうち、被告西藤禎子(以下「被告西藤」という)は別紙添付図面<B>部分を、被告谷口秀雄(以下「被告谷口」という)は別紙添付図面<C>部分を、退去して、本件(一)土地の占有部分をそれぞれ明け渡すこと。

五  被告加藤磐雄(以下「被告加藤」という)は本件乙建物から退去してその敷地(本件(一)土地内)を明け渡すこと。

六  訴訟費用は被告らの負担とする。」

旨の判決および仮執行の宣言とを求める。

二 被告ら

主文同旨の判決を求める。

第二陳述した事実

一  請求の原因

(一)  本件土地(地目が「畑」から「宅地」に変更されたのは昭和二二年九月四日である)はもと小川譲一の所有に属するところ、同人は、昭和一九年八月九日死亡し、原告が家督相続により本件土地の所有権を取得した(昭和二二年九月四日原告名義に所有権取得登記)。

(二)  被告福幸、被告八重は昭和四一年三月二〇日本件土地上に本件甲建物を建築所有して(被告福幸、被告八重の共有持分各二分の一あてに保存登記)、本件土地を占有している。

(三)  被告西藤は、本件甲建物の中央部分(別紙添付図面<B>部分)を、被告谷口は、その西側部分(別紙添付図面<C>部分)をそれぞれ、被告福幸、被告八重両名から賃借居住して、右居住部分について本件(一)土地を占有している。

(四)  被告福幸は、本件乙建物を建築所有し、本件(一)土地を占有しており、被告加藤は本件乙建物を被告福幸から賃借して居住し、本件(一)土地を占有している。

(五)  被告道子は、本件丙建物を建築所有して、本件(一)土地を占有している。

(六)  よつて、原告は、本件土地の所有権にもとづいて、被告福幸、被告八重に対し、本件甲建物収去本件土地明渡を、被告福幸に対し本件乙建物収去敷地明渡(本件(一)土地内)を、被告道子に対し本件丙建物収去敷地明渡(本件(一)土地内)を求めるとともに、被告西藤、被告谷口に対し本件甲建物の前記各占有部分から、被告加藤に対し本件乙建物から、それぞれ退去してその占有敷地部分の明渡を求める。

二  被告らの答弁および抗弁

(一)  答弁

請求原因事実中(一)は認める。ただし地目変更は、昭和二二年三月一〇日である。(二)ないし(五)は認める。(六)は争う。

(二)  抗弁

本件土地は、取得時効の完成により丸亀幸一郎の所有となり、原告の所有に属しない。すなわち

1、被告福幸、被告道子の父丸亀幸一郎は、昭和五年頃から本件土地を所有者小川譲一(原告の父)から小作賃借し、甘藷などの畑として耕作し、これの占有を続け、昭和二〇年頃まで、右小川譲一または原告の管理人西田市松に対し本件土地の小作料(地代)を払つていた。

2、ところで、太平洋戦争の敗戦後昭和二〇年暮、右幸一郎の代理人丸亀元一、同丸亀新一郎(被告福幸の兄)両名が、右西田市松に対し昭和二〇年度分の小作料(地代)を持参して支払つたところ、同人は、本件土地が右幸一郎の所有に属することとなり、爾後小作料(地代)支払の必要がなく、農業委員会に土地払下げの申請をすべき旨を告げ、右丸亀元一、丸亀新一郎両名は、右市松の指示に従うべき旨を述べた。

そして、幸一郎はその後直ちに当時の農業委員会の委員中村房造に対し本件土地の払下げを申請し、右中村房造はその払下げ手続をする旨確約し、幸一郎の所有に属することゆえ、本件土地を自由に使用できる旨を述べた。

そこで、幸一郎は、本件土地の所有権が自己に帰属したものと信じ、爾後本件土地上で耕作して占有を続けるとともに、昭和四一年以降同四三年までに本件甲・乙・丙各建物が原告主張のように建築されたものである。

右のように、幸一郎の本件土地の占有権原はもと賃借権にもとづくいわゆる他主占有であつたが、昭和三〇年一二月西田市松の指示に従うべき旨の意思表示は、本件土地についてその後、幸一郎が所有の意思をもつて占有すべき旨を表示したものというべきである。

このことは右丸亀元一、丸亀新一郎両名の意思表示後である昭和二一年頃から現在に至るまで、前記賃借権にもとづく本件土地の地代を右幸一郎またはその相続人たる被告が一銭も支払わず、また、原告から地代支払請求がなんらされなかつたことからも、推測されるわけである。

3、かかる他主占有から自主占有への変更について、いわゆる農地改革という国全体の根本的な農地制度の変革をゆるがせにすることはできない。すなわち、

本件土地の所有者であつた原告は農地改革の行なわれた当時大阪市内に住んでいたいわゆる不在地主であり、丸亀幸一郎はその当時迄一〇数年来本件土地を小作していた者である。したがつて、本件土地は自作農創設特別措置法により当然国により買収さるべきものであり、その結果、丸亀幸一郎に対し国から払い下げられるべきものであつた。

ところが、所轄農業委員会が昭和二二年三月末に農地買収計画を決定する直前である昭和二二年三月一〇日原告が本件土地の地目「農地」を「宅地」に地目変更したことにより、本件土地について買収計画がされないままに終つたものである。

4、のみならず、丸亀幸一郎は昭和二〇年暮頃、新権原にもとづいて本件土地を自主占有すなわち所有の意思をもつて占有をしたものである。すなわち

前述したように、いわゆる農地改革という国全体の根本的な農地制度の改革が行なわれたのであり前記した事実は本件土地の所有権は丸亀幸一郎に移転されることを認識したうえで、原告から丸亀幸一郎に対して行なわれた本件土地の特別の所有権移転行為というべきであり、これは民法一八五条後段にいう新権原が発生したものということができる。

5、以上述べたように、丸亀幸一郎は、昭和二〇年一二月頃、自主占有する旨を表示したかまたは新権原にもとづいて自主占有したものであつて、その時善意、無過失であつて所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件土地の占有をし、昭和三〇年一二月頃所有権の取得時効が完成したから、同人は本件土地の所有権を取得した。

かりに、幸一郎に過失があつたとしても、二〇年を経過した昭和四〇年一二月頃所有権の取得時効が完成し、同人は、本件土地の所有権を取得した。

6、丸亀幸一郎は、昭和四五年六月七日死亡し右幸一郎の子である被告福幸、被告道子は相続人としてその権利を承継したから、その取得時効を援用する。

三  抗弁に対する答弁(原告)

被告ら主張の抗弁事実中、1について丸亀幸一郎が本件土地について小川譲一から賃借(小作)し甘藷などの畑として耕作しかつ、小作料(地代)を支払つていたことは認める。2について、幸一郎が中村房造に対し本件土地の払下を申請し、同人が払下げ手続をする旨を確約しかつ被告ら主張の登記をしたことは不知。幸一郎が被告主張のように本件土地で耕作し、占有を続け、本件甲・乙・丙各建物が建築されたことおよび昭和二一年度以降本件土地の地代支払がされていないことは認めるが、その余を否認する。3について本件土地について買収手続がされなかつたことは認めるがその余は争う。4および5は争う。

要するに丸亀幸一郎の占有は賃借人としての占有であつて所有の意思をもつた自主占有ではない。したがつて丸亀幸一郎については本件土地についての取得時効の完成はあり得ない。

第三証拠関係<省略>

理由

一  請求原因事実(一)ないし(五)は、地目変更の日時の点を除き(この争点は、本件争点の判断に必要がないから、省略する)当事者間に争いがない。

二  そこで、本件土地について被告ら主張のように取得時効が完成したかどうかについて検討する。

(一)  いずれも成立に争いのない甲第三号証の一、甲第一五号証の一、二、甲第一六号証の一ないし一四、いずれも証人岩井富義の供述によりその成立を認めることができる甲第九号証、甲第一〇号証の一ないし三、甲第一一号証の一ないし三、甲第一二、一三号証に、証人西田市松、同岩井富義、同中村延治郎、同丸亀元一および被告本人福幸の各供述を綜合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件土地はもと小川譲一の所有に属し(このことは当事者間に争いがない)、西田市松が昭和五年頃から敗戦時頃まで本件土地を含めて周辺の小川譲一所有に係る土地の管理を続けていたが、戦争中は同時に添田某が本件土地を含めて周辺土地を管理することとなつた。しかし実際上添田某は西田市松にその管理をまかせることが多く、従前どおり西田市松において小作料(地代)を受け取ることが多く、この点についてとくに異議がでなかつた。

2  丸亀幸一郎は、昭和四・五年頃から、本件土地を小川譲一から賃借し、畑としてさつまいも、小麦などを耕作しており(本件土地を小川譲一から賃借し、畑としてさつまいもなどを耕作していたことは当事者間に争いがない)、西田市松に対し本件土地の小作料(地代)を支払つてきていた。

なお、丸亀幸一郎は池田市においてその他の土地をあわせて約二反歩を耕作していた。

3  昭和二〇年末自作農創設のための第一次農地改革が行なわれることになり、本件土地を所有していた小川譲一は大阪市に在住するいわゆる不在地主であるため、同人所有にかかる池田市の農地(本件土地を含む周辺の農地)はすべて国の買収にかかるべく、各小作人に国から売り渡さるべきものであつた。そして現に同人所有の池田市在住の農地(本件土地を除く。本件土地のことについては後述するとおりである)はすべて国に買収され、各小作人に対し国から売り渡された。

4  丸亀幸一郎の代理人として、その長男丸亀新一郎、その三男丸亀元一両名が昭和二〇年暮昭和二〇年度分の本件土地の小作料(地代)を西田市松に支払いに赴いたとき、右西田市松から敗戦により事情が変り、地主が農地を失い、小作人がその農地を取得することになるといわれた。このことを聞いた幸一郎は、手続にうといことから、当時の農業委員(地主側)中村房造や中村延治郎(小作側)に色々と相談したが、幸一郎は、右両名から本件土地は幸一郎に払い下げるべきものであり、かつ、その手続が進められている旨告げられたので、本件土地が自分の物になると確信した。また、世間一般の人も、売渡処分により本件土地が幸一郎のものになると思つており、農地改革後は幸一郎などその関係者はもちろん、原告の管理人ともいうべき西田市松や農業委員らも、幸一郎の所有に帰したと思つていた。

5  幸一郎は、昭和二〇年度に小作料(地代)を支払つたのみその後一銭も払わず(昭和二一年度以降小作料(地代)が払われていないことは当事者間に争いがない)かつ、地主側からも、なんら小作料(地代)の支払請求を受けることなく経過し、昭和三九年頃本件甲建物(登記名義は、被告福幸、被告八重名義)を建築するに至つた(もつとも、本件甲建物の登記手続を建築業者にまかせていたところ、業者は本件甲建物を事実と異なる別個の番地を表示して、登記申請手続をした)ところ、昭和四二年三月一日原告から、本件各建物収去土地明渡を求める旨の内容証明郵便(甲第四号証の一)が配達され、幸一郎はじめ関係者一同(農地委員を含めて)は、意外な事実に気付き、ビツクリした。

6  ところが、本件土地はどういうわけか、実際には、第一次農地改革における農地買収処分の対象から除かれており、農地買収処分にかかることなく(本件土地が農地買収処分にかからなかつたこと自体は当事者間に争いがない)したがつて、第三者に国から売り渡されることもなく、また、固定資産税が現在に至るまで原告あてに賦課されており、公的には、原告の所有に属するものとされていた。

7  丸亀幸一郎は、昭和四五年六月七日死亡し、幸一郎の子である被告福幸、被告道子は相続人としてその権利を承継した(このことは原告において明らかに争わないから、自白したものとみなす)。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する部分の証人西田市松、同岩井富蔵の供述部分は、措信しがたい。

(二)  右認定の事実のもとに民法一八五条にいう「自己ニ占有ヲ為サシメタル者ニ対シ所有ノ意思アルコトヲ表示シ」たかどうかについてみる。

1  まず、西田市松が昭和二〇年暮本件土地について添田某とならんで原告に対しこれを管理する地位にあつたことは前記認定のとおりであるから、丸亀幸一郎またはその代理人が右西田市松に対し「所有ノ意思アルコトヲ表示シ」たときには「自己ニ占有ヲ為サシメタル者ニ対シ」これをしたものと認めるのが相当である。

2  そこで、丸亀幸一郎が西田市松に対し「所有ノ意思アルコトヲ表示シ」たというべきかというに、西田市松が幸一郎の息子である丸亀新一郎および丸亀元一に対し、事情が変わり地主が農地を失い、小作人がその農地を取得することを告げ、かつ、その後一度も小作料(地代)請求がされず、幸一郎も小作料(地代)を一度も支払わずそのまま本件土地の占有(耕作)を続けていたことは、前記説示のとおりであり、しかも、当時いわゆる農地改革により、原告のような不在地主の農地はすべて国に買収されたあと小作人に売渡されるというような事情は、農地関係者にとつて周知であるということは、公知の事実ともいうべきであり、したがつて、小作人の農地の耕作(占有)はおそかれ早かれ、従前の賃借権にもとづく他主占有と異なるべきことは当然知悉していたと推認するのが相当である。このような特別の事情をしんしやくし、かつ、民法一八五条前段においていわゆる他主占有から自主占有への形態の変更に対しその旨の表示を要求しているのは占有形態の異なるべきことを所有者に対し知らせ、その所有者に対し占有形態の変更に対処すべき機会を与えている趣旨にかんがみると、本件のように、丸亀幸一郎が原告の管理人西田市松の教示にもとづき本件土地の他主占有の状態を所有の意思をもつてする自主占有に変更したようなときにはかかる占有形態の変更について原告の管理人西田市松においてこれを十分了承していたものと推認され、したがつてかかる状態にある管理人西田市松に対し改めて特別な「所有ノ意思アルコトヲ表示」するか如きことは無意味ともいうべきである。したがつて、前記事情のある本件においては、西田市松の前記指示に従つた幸一郎は少なくとも、その時西田市松に対し本件土地を所有の意思をもつて占有することを表示したものと認めるのが相当である。

(三)  そして、丸亀幸一郎が本件土地を所有の意思をもつて占有したことについて、格別の事情の認められない本件においては、善意、平穏かつ公然に占有をしているものと推定される(民法一八六条)けれども、本件土地について幸一郎が買収手続のための比較的簡単な手続について直接署名などにより関与しまたは農地の売渡代金を弁済したこと等自己の所有権取得原因について直接行為をしたことが認められないから、所有の意思をもつてするいわゆる自主占有への占有形態の変更について、過失がなかつたということはできず、むしろ、過失があつたというべきである。

それゆえ、本件土地に対する取得時効の完成は民法一六二条二項の規定により、幸一郎が占有形態を他主占有から自主占有に変更した時から二〇年を経過した昭和四〇年一二月末日の経過とともに完成したものと認めるのが相当である。

三  以上説述したとおり、本件土地については丸亀幸一郎は取得時効の完成によりその所有権を取得したのであり、しかもかかる取得時効の完成について幸一郎の相続人である被告福幸、同道子においてこれを援用している以上、原告が本件土地の所有権を有するものとはいえず、したがつて、原告が本件土地の所有権を有することを前提とする原告の本訴請求は、さらに判断を進めるまでもなく、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 奈良次郎)

別紙 物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例